医薬分業の歴史

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“医薬分業”というと、日本では新しい制度というイメージがありますが、世界的には想像以上に古く1240年代にまでさかのぼると言われています。

962年〜1806年に西ヨーロッパに存在したドイツを中心とした連邦国家(:神聖ローマ帝国)の国王フリードリヒ2世が制定した薬剤師大憲章によって制度化されたもので、ヨーロッパでは長い歴史をもつ医療制度の1つとなっています。

これは医師が調剤室を持って患者に薬を出すことを禁じる法律で、処方箋を作成する者と、それを見て薬剤を調合する者とを分離させるという表面上は現在の日本で進められている医薬分業の制度と同じですが、当初は皇位継承をたくらむものが皇室直属の医師と結託して皇位継承権をもつ者を毒殺することを防止するという目的があったと言われています。

日本では医師が“薬師”と呼ばれていたように、昔から医師が患者を診察して、直接患者に薬を手渡すという習慣があり、欧米に根付いている医薬分業とは大きな違いがありましたが、敗戦後の1945年に対日占領政策実施の本拠地としてアメリカが設置したGHQはそれが近代化の妨げになっていると判断して“医薬分業”の実施を迫ってきました。

当時、医師の収入の大部分は薬によるものであったために日本医師会は猛反対しましたが、GHQの力には対抗できず1956年からは強制的に日本でも医薬分業が実施されることになりました。

GHQが日本を去ると医薬分業法案には、“医師の判断によっては病院で薬を出すことができる”という付帯条件が追加され、事実上力をもたない法律となってしまいましたが、現在で神奈川や秋田、佐賀など分業率が70%を超えている県もあるほどの進展をみせています。


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